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LETTERS FROM OVERSEAS vol.2
阿部邦子
さん
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「パリ便り」
フランス・パリ在住、美術史研究家、通訳翻訳家、英文学科1973年度生、1977年3月卒、同志社校友会員
同志社大学英文学科卒業後、アメリカの某会社の日本事務所に勤めるうちに思い立った留学は、アメリカ留学ではなくフランス留学。詩人ジャック・プレヴェールの脚本による、マルセル・カルネ監督のフランス映画『天井桟敷の人々Les Enfants du Paradis』に感激したのがきっかけでした。その美しいフランス語の響き、自由なエスプリに満ちた、創造性の高い芸術に膚で触れてみたいとの一心で、3ヶ月の語学研修を名目にトランク一つで冬のパリに到着したのが、1987年。それから20年余、今やすっかりパリ市民です。市街を綺麗に一望できるモンマルトルの丘の麓に住み着いています。エッフェル塔の花飾りの様に見える、パリ祭や新年の花火を丘から眺められるのも最高ですが、ピカソやモジリアニ、ユトリロ等の縁の地、この界隈で出会うアーティスト達と自由に芸術論を闘わせることができるのは嬉しいものです。庶民的な市場ではグルメ談義に熱が入り、葡萄畑のある土地柄、秋の収穫祭には大勢でワイングラスを片手にEUや現大統領批判も含めた様々な話題で楽しい時を過ごします。
パリでフランス語を習得する過程で、 世界でも稀な教育法をとるルーヴル美術館大学Ecole du Louvre の存在を知り、入学。博物館学でも有名なこの学校では、実際に美術作品との直接的な対面を義務づけ、オセアニアを含めた世界全大陸を網羅する先史時代から現代にかけての膨大な量の美術史の授業が展開されます。これが私の世界の美術史との運命的な出会いとなりました。卒業後、パリ大学ソルボンヌ校考古学美術史科に入学し、優秀な教授陣に恵まれた御蔭で長年のリサーチを経て『フランス劇場建築とその装飾』に関する博士論文を完成させることができました。目下その出版準備中です。研究を継続しながら、国公立美術館、フランス文化省、ユネスコ、各テレビ局等で通訳翻訳家として働くことができたことは大きな喜びでした。幸いにも研究者の信頼を得てフランス文化省建築局傘下でささやかな翻訳書の出版もさせていただきました。最近のビッグ ・プロジェクトは2005年のルーヴル美術館のインターネット公式サイトの日本語版制作。美術史家としてエキスパート翻訳班の一員となり、美術館蔵珠玉の名作品解説の共同翻訳に取り組みました。真剣な論議検討を経て技術的困難を克服しながら10ヶ月に及んだ日本語翻訳の完成はまさに快挙でした。
英文科卒ながらフランス在住となり、同志社大学で得たものは遥か彼方に消えていくようでした。その私が2008年6月に30年振りに同志社大学の恩師岩山太次郎名誉教授に京都で同窓生と共に再会できたのですから、その感動の深さは筆舌に尽くし難いものです。 運命の糸が繋がったようでした。ことの始まりは岩山ゼミだったという某先輩とのパリでの偶然の出会いで、京都での再会へと導いてくれました。私はゼミではどうみても真面目な学生ではなかったのですが、颯爽としたインテリという風貌の岩山先生のアメリカ現代文学の授業内容は記憶の中に鮮明に残っていました。好奇心から、パリのソルボンヌ大学でのアメリカ文学の講義を聴講し、フォークナー、フィリップ・ロス等の文学研究におけるフランス独自の視点に興味を覚えました。その背景となる米仏関係の歴史を知れば知る程、結局は私の同志社大学の思い出につながっていきます。第二次世界大戦のアメリカ軍上陸作戦で有名なノルマンディー海岸からトクヴィルという名前の町を通り、『アメリカの民主政治』で知られるアレクシス・ド・トクヴィルがこもって執筆をしたというトクヴィル家のお城を偶然発見したり、パリのモンパルナスで「失われた世代」の代表作家ヘミングウェイを語るインテリ浮浪者に出会ったり、 アーモスト大学出身のダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』の暗号解読名所巡りの観光客に各地で出会ったりする度に、我が母校を思い出しました。今思えばあらゆる点で同志社教育は私の出遅れた人間形成のかけがえの無い滋養になっていたのです。国籍を問わず、人々と自由に話し合えるのはリベラル・アーツ教育を基盤とした同志社精神の御蔭でしょうか。今年6月、生れ故郷にある秋田国際大学で開催された国際美術史学会主催の国際会議「アンドレ・マルロオ」 での発表を終え、久々に同窓生と歩いた京都今出川のキャンパス。新島襄の精神を受け継ぐ深い伝統、そして漲る若さを膚で感じ、「自由闊達な精神と広義な国際的視野を養う同志社よ永久なれ」と秘かに祈り日本を後にしました。
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LETTERS FROM OVERSEAS vol.1
本間恵美子
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同志社校友会のHome Pageへ 2008年6月15日
私は1951年女子高を卒業し、1955年に同志社大学文学部社会学科(社会福祉)を卒業しました。42年間YWCAとYMCAで仕事をしました。1979年以来アメリカ、ニュージャージー州に移り住んでいます。フルタイムの仕事からは10年前に引退しましたが、請われて青少年指導者養成、Social Group Workerの育成、そして日米相互理解の仕事に主人(本間立夫)とともにボランティアとして関わり、日本とNYを毎年行き来しています。NY同志社会の名誉会長を仰せつかり微力ながら若い卒業生の方々に少しでもお役に立てばと願っています。
今回の5月の総会には思いがけなく、八田英二学長、黒木保博国際関係の副学長が秘書の田中康博さんとご一緒にご出席下さり大変盛り上がり、出席した会員も母校への愛校心が深まったと好評でした。
「私の青春は同志社!」でした。いまでも日本への里帰りの際には東京で懐かしい友人たちが会合をプランしてくれ、京都でも同じように聖歌隊の仲間、学生YM・YWの仲間と再会の機会が待っていて昔に戻ったような楽しい時が過ごせます。NYのFrost Valley YMCAに建設したFriendship Houseでの毎年8月の日本文化紹介のWorkshopには、そういった同志社の仲間が次々に持っている才能と奉仕の精神で東京-ニューヨークを自費で飛び協力してくださるのです。アメリカに住んでいる青少年と家族のためのYMCA活動をしていた現役時代も多くの支持者の中に同志社の仲間がいつも健在でした。大変な「宝」です。そういう仲間と共にいまも「成長を続け、人のために尽くす人生を」と願っている今日この頃です。
本間恵美子
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